教授挨拶

医学は、数学や物理学に代表される自然科学とは違い、社会科学に分類されている。何故だろうか?この問いに答えるにはかなりの時間を要すると推察している。医学は客観性や論理性といった視点で探求するだけではなく、社会性や倫理性を併せ持つからであろうか?30年の医師人生でも「これだ!」といった答えを見出せずにいる。
 医学の歴史は、天文学や法学や哲学と並び、数千年の歴史がある。しかし、何故だろう?どうしてだろう?といった知的好奇心と同じくらい、他者を思いやったり、弱者に手を差し伸べたり、同情や共感の念を持つのは、人間が本来持ち合わせている本分であろう。

 

 外科はサイエンス(科学)とアート(手術)を併せ持つ素晴らしい分野である。このページの主な読者は?という観点でこの挨拶文を書くとなると、一番の対象は、未来ある若人になる。研修医時代に恩師から、「症例は自然がやる最大の実験である」と聞かされたが、30年経っても、まさにその通りだと痛感している。真実はどこにあるか?それは、患者(ひと)の中にこそあるのであり、それを見ようとしない限り、何も見えないと思う。患者に何が起きているのか?を理学的、放射線学的、分子細胞学的、社会的、精神的な観点から客観的に観察し、論理的に思考し、人間味を持って対峙すべきだろうが、なかなか思い通りにはいかない。同様に、アート(手術)を極めたいと願い、修練を続けても叶わないことも多い。しかし、「technique(技術)を如何に-ology(学問)にするか?」これは、ある他大学の教授にアドバイスされたものだが、学問にすることで裾野が広がり多くのひとが参入してくることで、学問の発展、しいては人類の幸福に繋がっていくものである。それでも、人知を超えた世界がきっとあるのだろうし、ひとは神にはなれない。しかし、否、だからこそ、それでも困難に対峙し続けていくのが人間の本質だと思う。ではどうする?医師の一番の仕事は患者に寄り添うことだと思う。これが現時点で僕が見出している答えだ。
 年長者が若人に未来を託して数百万年。この繰り返しで、ひとはひととして命をつないできているであろう。では、年長者としての僕の責任と夢は?「エゴを捨ててひとを育てる」ことだ。これも、教室を主宰する時に、上述の恩師にアドバイスされたものだ。臨床も手術も研究も、全てはひとを育てる観点でやってきているつもりだが、これもなかなか思い通りにはいかない。なぜなら、ひとを育てることは、自分を鑑みることだからでもある。とは言え、将来ある若人の成長を間近で見られることは、幸せなことであり実に嬉しい。ある恩師にもこうアドバイスされた。「親鳥が羽を広げてヒナを守るように!」と。その通りだ。科学者とは近代の言葉であり、産業革命以前は、自然哲学者と称されていたようだ。ひとは哲学者であろう。パスカル曰く、「人間は考える葦である」。未来を託すべき若人と共に、きつくとも楽しく充実した日々が愛おしい。とりとめのない叙情的な文章になってしまっているが、そんな若人が一人でも多く、獨協医科大学泌尿器科学教室の門を叩いてくれることが最大の希望だ。

 

 

釜井 隆男教授

 

1964年生まれ 栃木県宇都宮市(旧河内町白沢)出身
1991年 秋田大学医学部卒業
2003年 医学博士号取得

 

趣味

 

小学校高学年から大学6年生までサッカー部(現在、獨協医科大学サッカー部顧問)    
自転車ロードバイク(年間3000km走行目標)
物理学関連の書籍を読むこと                            
時間がなくてできないが、釣り糸を垂れたい。                    
医局の方針
進取究明、自律自治、人を育てる

 

職歴

 

1991年 米国Yale大学医学部泌尿器科Post doctoral associate
1992年 東京医科歯科大学医学部泌尿器科入局研修医
1993年 藤沢市民病院泌尿器科
1994年 公立昭和病院泌尿器科
1997年 東京都多摩老人医療センター泌尿器科主事
1999年 獨協医科大学泌尿器科助手
2004年 獨協医科大学泌尿器科講師
2010年 獨協医科大学泌尿器科准教授
2011年 獨協医科大学泌尿器科主任教授

 

所属学会

 

日本泌尿器科学会(専門医・指導医・評議員)
日本癌学会
日本癌治療学会
日本泌尿器内視鏡学会(評議員)
日本小児泌尿器科学会
日本EE学会
日本ミニマム創泌尿器内視鏡外科学会
日本排尿機能学会
米国泌尿器学会(The American Urological Association
日本がん治療認定医機構(認定医・暫定教育医)