平成23年3月11日に発生した東北関東大震災で被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

平成25年度より、当センターは、気仙沼支援 医療・福祉関係 5団体に参加し、子どもの発達障害研修の支援を行っています。

2016年6月 

  • 2013年8月以降コラムを更新していませんでした。私の怠慢。
    でも、言い訳になりますが実はいろいろ執筆しており、それは業績欄で参照してください。
    コラムと言えば、朝日新聞埼玉版に定期的に医療コラムを執筆する機会を頂きました。
    「診察室から@埼玉」という題名です。13編になりました。題名を振り返ってみると、小児心身症、発達障害、教育との連携、摂食障害、子育てに悩む親の支援などの問題を取り上げました。
    小児科医として自分が日頃患者さんや家族に何をしてきたのだろうと自問自答の末書きました。自責の念も含めながらの執筆でした。
    文字数に限りがあるので、まとめる作業は長文を書くよりも手間がかかります。新聞記者さんのまとめの技量、タイトル決めの考え方は勉強になりました。
    さすが朝日新聞。今月をもってお役御免です。ほっとしました。
    これで、一息つければ良いのですが、そういう訳にはいきません。医学部の仕事は「診療、研究、教育」と言いますがまさにその3つと格闘中です。
    しかし、これは自分にとって辛い仕事ではありません。
    先日、スタッフのみんなに騙されて還暦サプライズパーティーをしていただきました。
    赤いちゃんちゃんこは絶対に着ないと口癖のように言っていたのですが、いざ目の前にちゃんちゃんこが持って来られたら、すっと腕を通してしましました。
    祝福されるというのは、こんなに嬉しいものなのかと、驚きと感激で涙さえでる隙もなく、ただただスタッフ一同に感謝、笑顔でした。
    うちの医師、看護師、心理士、言語療法士、音楽療法士、事務スタッフ、みんな最高の人たちです。
    お忙しい中かけつけていただいた大恩人の埜中征哉先生、ありがとうございました(先生に騙されたのが、まだピントこない感じです)。

    この3年間、発達・心身症の診療はさらに忙しくなっています。医療機関のみならず教育機関や保健所・保健センター、児童相談所からの紹介も増えています。
    できるだけ多くの患者さんのニーズに応えようとしていますが、初診が3~4か月待ちになってしまうことも多く、かえってご迷惑をかけています。
    多くの患者さんがいる現実をみると、かかりつけ医との地域連携体制を構築することが急務と考えています。
    また、コメディカルスタッフ(看護師、心理士、言語療法士、音楽療法士、メディカルソーシャルワーカー:MSW、など)との協力が大切です。
    当センター内の診療体制もだいぶ充実してきました。毎週水曜日のお昼に、医師、研修医、看護師、心理士、言語療法士、MSWが参加してランチカンファレンスを行っています。
    入院患者さん(摂食障害と心身症タイプの不登校のお子さんがメイン)の検討、外来患者さんの検討、MSWから虐待事例報告や地域連携会議報告など、毎回情報共有とできるだけ早期対応ができる体制を整えました。
    私のもっとも大切にしていることは、全員が自由に気兼ねなく意見を述べ合うことができる環境です。
    これは、自分の仕事にプロ意識がないとできません。
    ですから、私は聞き役になっていることが多いかもしれません。ランチを食べながらリラックスした雰囲気で行うカンファは実のある結果を出すことができると思っています。
    毎週、スタッフが集まって意見交換することによって、いわゆる多職種による包括的医療体制ができたと考えています。

  • (作田 亮一)

2013年 夏

  • なんと!3年も経ってしまいました。
    前回のコラムから。発信したい言葉は溢れるばかりですが、一旦書かなくなるとこういうものなのでしょう。
    テレビでは「あまちゃん」が大ヒットしています。大震災のあと、日本中が悲しみとポッカリ空いたこころの空洞の中に沈み込みこんでいましたが「前を向いて歩こう」という兆しは見えてきています。


    昨年1月、縁があって気仙沼へ初めて行きました。
    まだ、たくさん瓦礫があって、それよりも、肌に浸み込む痛い寒さの中、津波ですっかり流され削られてしまった港湾に立ってみると、目の前の静かな海があまりにも澄んで綺麗で残酷で穏やかで、つばが飲み込めないほど喉の奥が苦しくなったことを鮮明に覚えています。
    その後、気仙沼でボランティア活動を懸命に行っている方々と知り合いになり、今年から正式に、発達障害研修の支援活動に参加するようになりました。
    気仙沼の建築会社の社長さんの家に民泊させていただき、奥さんとおばあちゃんの漫才のような話を聞きながら、採れたての魚介類、野菜など、何しろ豊かな食材をこれでもかといただくことがあります。
    何だか、逆に力をいただいて帰るようで申し訳ない。

    東北人は不滅です。ほんとに。

    自分の血にも東北の血が流れています。亡くなった母は青森の野辺地という小さな陸奥湾に面した町の出身。
    母は、食べるものがなくて困った時は、海に行ってムラサキウニやなまこなどを、しかも丼ぶりいっぱい、採って食べていたそうですが、それって、すごいグルメですよね。
    おかげで、母は東京で食べる魚はみなまずいと言って文句を言いつつ、でも、好きなので、白身魚、ウニ、ナマコばかり食べていました。
    つい最近、八重の桜の番組終了後歴史を語る場面があって(そういうところだけ、一生懸命観ている)、会津藩が幕府軍に負けた後、2グループに分かれて東北地方へ逃れ、その一つが野辺地から下北半島に移住したと知りました。
    そういえば、母は、桃が大好きで、今年のように暑くて何でも溶かしてしまいそうな真夏に、特に福島産の桃を一度に20個も食べたことがあると豪語していたことを思い出しました。
    福島の血も入っているのかな?

  • (作田 亮一)

第2回 子どものこころ診療センターセミナー5月15日(日)報告

  • 第2回はもともと3月26日に開催予定していましたが、東日本大震災直後であり延期し、テーマも「災害による子どもと家族のストレスへの対応」に変更、平成23年5月15日日曜日、獨協医科大学越谷病院の会議室で開催いたしました。
    当日は、日曜日の午後にも関わらず会場は満員となり、出席者の熱気が伝わってきました。
    今回、我々がもっとも意図したのは、災害後我々がいかに普通の生活に戻れるか?でした。
    まず、こころの診療部教授 井原裕先生が、「災害後を生きる:トラウマと思春期」と題して、いつものように分かりやすく、丁寧に震災を受けた人の心理経過(茫然自失、ハネムーン、幻滅、そして再建)、災害後に我々のすべきことは?「本来の生活・1日を忙しく過ごす、行動により不安への直面化を避けるなど」ポイントを解説しました。
    質疑応答では、福島から埼玉県へ避難している住民のケアのボランティアをしている方から、現実に子どもたちが「不安を訴えていること」が述べられました。
    次に、作田が、「発達障害の子どもへの対応」を解説。実際に獨協医大受診中の発達障害と心身症の子どもたちの反応の違いなどをお話ししました。
    臨床心理士の田副先生は、リラクゼーションの技法として「自律訓練法」を実技を交えて楽しく教えていただきました。
    最後に、災害後のどんよりした気持ちは会場に来ていただいた皆さん自身がお持ちであろうと考え、噺家の林家たけ平さん(実は、私の友人)に特別講義?として、落語ってこんな表現をするんですよ、という入門編から、後半は「目薬」という夫婦の話をしてもらい、会場爆笑のうちに閉会となりました。
    閉会の挨拶の時、会場の皆さんの顔が、本当に生き生きと笑い顔に満ちていたのが、私にとっても嬉しく、励みになりました。来場して頂いた方々に心より感謝申し上げます。 今後、子どものこころ診療センターは、災害後の子どもたちの心のケアに取り組んでまいります。問題のあるお子さんがいて、対応に困っている方はご連絡ください。

    次回のセミナーは、8月27日土曜日「発達障害の子どもたちの問題:ぎこちない運動、睡眠障害、対人コミュニケーションを学ぼう」を越谷コミュニティーセンターで行いますので、ご興味ある方は、早めにご予約お願いします。

  • (作田 亮一)

東日本大震災

  • 1月24日に1回目のコラムを書いてから、だいぶ日にちが経ってしまいました。それまでに色々なことがありました。しかし、3月11日で全てがリセットされてしまいました。夢であって欲しいと思います。しかし、東北関東を襲ったマグニチュード9.0という未だかつて日本人が経験したことのない大地震と大津波は真実でした。1万人を超える犠牲者の方々、言葉もありません。
    心よりご冥福をお祈り申し上げます。
    東北地震の当日はちょうど診療中でした。待合に多くの患者さんがいらっしゃいました。大きな揺れに動揺されていましたが、パニックに陥らず怪我もなく無事でした。震災の日から、テレビでは一日中三陸の大津波の映像が流れ、さらに原発事故の報道。交通機関はマヒし、都内はもちろん、埼玉県でも多くの帰宅難民が出ました。深夜までタクシー待ちをしたり、歩いて何時間もかけて帰宅した方も多いと思います。その後に計画停電と続き、本当に大多数の方々は普通の生活に戻れず閉塞感の中で過ごしていらっしゃると思います。私自身も、直接大きな被害に遭ったわけではないのに、何かをしようとしてもぼんやりしていました。地震酔いというのがあることを初めて経験しました。
    このような中、甲子園で東北高校野球部が被災地のボランティアをぎりぎりまでしながら元気に出場し、Jリーグのチャリティー試合なども開催、多くの募金活動が活発に始まるなど、日本人の心の中に、互いを思いやる心のともし火がワット燃え上がってくるのを感じます。被災を受けた人々は、本当に辛く厳しい状況にも関わらず互いに助け合っています。頭が下がります。この災害は、第2次世界大戦後日本人が経験する、最大の危機的状況だと思いますが、それだけに今ほどマイナス思考でなく自分にできることを実行することが、誰かのためになる・生かせる時でもあると思います。
    外来にいらっしゃる患者さん全員に「3月11日の状況とその後の生活について」聞いています。思いがけない災害の直後の不安、そしてしばらく経過したのちの気持ちの変化など知ることにより、心の医療を行っている者として、これから何が患者さんの為に必要で、何をすべきか?検討します。また、被災地の子どもたちの心のケアに関して、小児心身医学会を通じて派遣医師の登録をしました。被災地のインフラが整った後の時期になると思いますが、自分のできることをしたいと考えています。
    最後に、昨日のニュースで被災地の方が「がんぼろう、日本!じゃなくて、私らは、頑張ってるぞ被災地!だよ」と笑顔でおっしゃるのを見て、東北人の芯の強さに逆に勇気づけられました。(さくた)

  • (作田 亮一)

ようやくセンターのホームページが完成しました。

  • 子どものこころ診療センターは、2009年に小児科神経グループの「発達・心身症」部門が独立した形で誕生しました。
    すでに約2年が経過。その間、特別宣伝しませんでしたが子どものこころ診療のニーズは増すばかりです。
    特に学校不適応の子どもたちの相談が多くなっています。
    子どもたちの環境は私の子どものころ(昭和31年生まれ)と比べて飛躍的に良くなったのにどうして?色々学説はあります。
    私のこれは印象でしかありませんが、ここ2-30年に日本という国が経済的に十分豊かになってしまった?ことが一番関係あるのだろうと思います。
    豊かになったのに、何か達成感が得られない今の日本。不況、不況と言っていますが、たくさん物が溢れ欲しいものは手に入る。
    貧乏というけれど、どうにか暮らしていける。 2番じゃダメなんですか?と言いつつも中国にGDPで抜かれたと騒ぐ。ゆとりある社会を目指していたんじゃないの?矛盾だらけ。どうしても自信が持てない日本人。働いても、働かなくても同じ、という閉塞感。上を向いて歩けない大人。子どもたちは大人を見て育っていきます。子どもたちに「生きていれば必ず自分をもっと生かせる未来がある!」という夢を持ってもらいたい。そして、動けない子どもさんたちのご両親の苦労を一緒に聞いていくこと。これしか、今の私にはできませんが、これからも「夢」について考え続けていきたいと思っています。センターを訪れるすべての子どもたちが「風が吹いてもぐっと踏ん張っていられる」子どもたちになって欲しいですから。
    最後に、ホームページを作ってくれた、高校時代からの友人「35ルームの服部利充君」に深謝いたします(私は32ルームでした)。

  • (作田 亮一)