解剖学とは関連しないが、深くそして、強烈に脳を刺激しそうな本、など
- 代表的日本人 (岩波文庫) ― Representative Men of Japan ―
- 人間の建設 (新潮文庫)
- 修身教授録 (致知選書)
- p.65
- とにかく先にも申すように、読書はわれわれ人間にとっては心の養分ですから、一日読書を廃したら、それだけ自己はへたばるものと思わねばなりません。肉体の食物は一日はおろか、たとえ一食でもこれを欠いたら、ひもじい思いをするわけですが、心の養分としての読書となると、……。そこで諸君は、差し当たってまず「一日読まざれば一日衰える」と覚悟されるがよいでしょう。
- p.203
- 人間の精神的弾力というものは、書物と取り組む力によって鍛えられるものです。また人間の たしなみ というものは、言葉を慎むところから始まるものです。
- ならず者の経済学 (徳間書店) ― Rogue Economics ―
- 環境問題はなぜウソがまかり通るのか (洋泉社)
- 大学・中庸 (岩波文庫)
- 葉隠入門 (新潮文庫)
- p.7
- 若い時代の心の伴侶としては、友だちと書物とがある。しかし、友だちは生き身のからだを持っていて、たえず変わっていく。ある一時期の感激も時とともにさめ、また別の友だちと、また別の感激が生まれてくる。書物もある意味ではそのようなものである。少年期の一時期に強烈な印象を受け、影響を受けた本も、何年かあとに読んでみると、感激は色あせ、あたかも死骸のように見える場合もないではない。しかし、友だちと書物との一番の差は、友だち自身は変わるが書物自体は変わらないということである。それはたとえ本棚の一隅に見捨てられても、それ自身の生命と思想を埃だらけになって、がんこに守っている。われわれはそれに近づくか、遠ざかるか、自分の態度決定によってその書物を変化させていくことができるだけである。……
-
- 正統の哲学 異端の思想 (徳間書店)
- 学問のすすめ (岩波文庫、青空文庫でも入手可能、PDF)
- 新釈実語教 (中山文化研究所、PDF、青空文庫にもある) ― 江戸時代に寺子屋で使った教科書 (学問のすすめで引用)―
- 啓発録 (講談社学術文庫、ネットでも入手可能、PDF))
- (・・後半の口語訳のなかほど)
- 学とはならふと読み、凡て自己よりも優れた人々の善事、善行を模倣して、自分もその地位にまで達することを意味する。故に一例を挙ぐれば、忠義、孝行の人
及び事を見ては、直ちにその人の平常の行動、又はその事などを倣ひ、自分も必ずその人に負けない程の忠孝の武士にならうと、堅く志すのが学問の第一義である。然るに後世に至ると、この学の意味を全然誤解若しくは制限して、単に詩文を創作し、読書することだけを学の全体と考へるやうになつて来た。学の本質から見るとこれほど妙な変化はないのである。
詩文の創作や読書は本来学問の一方法に過ぎぬ。……
-
- 暗黒大陸中国の真実 (芙蓉書房) ― Ways that are dark: the Truth About China ―
- アメリカの鏡・日本 (角川書店) ― Mirror for Americans: Japan ―
- 私の幸福論 (ちくま文庫)
- p.11
- 美醜も、男女の幸福について論じるとき、ひとびとがあまり触れたがらない―正確にいえば、よく知っているのに触れたがらない―根本的問題の一つです。身上相談などでよく見かけることですが、たとえば………。一口にいえば、悩みを訴えるひとの顔を見たいということであります。顔を見なければ、とても答えられないという気がするのです。そういうとみなさんのうちには、ずいぶんと残酷なことをいうやつだと抗議するかたもいるかもしれません。……
-
- 世界史の誕生 (ちくま文庫)
- 逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
- 武士の娘 (ちくま文庫) ― A Daughter of the Samurai ―
- 鎮守の森 (新潮文庫)
- 民主主義とは何なのか (文春文庫)
- Text of Steve Jobs' Commencement address - Stanford Univ. (ネットでアクセス可能)
- 思うは招く - TEDxSapporo (ネットでアクセス可能)
- 生くる (講談社)
- 「余計なものを捨てても捨てたことにはならない。前へ進むためには、大切なものを捨てなければならないのだ」(「捨てることについて」)
- 「死がなければ人生の意味は何もない。自由自在に動き回って、愉しむことができるのは、還るべき『永遠の家』としての死があるからなのだ」(「運命を愉しむ」)
- …
- 日本国紀 (幻冬舎)
- ネコノミクス宣言 (扶桑社)
- 都鄙問答 (致知出版社)
- p.68
- 学問の道というのは、まず自分自身の行いをよく慎み、義の心で主君を尊び、仁愛の心で父母に仕え、信の心で友と交わり、人をわけへだてせずに愛し、貧窮した人には同情し、功徳があっても決して誇らず、衣類からさまざまな道具に至るまで倹約に心がけ、華美を求めず、家業をおろそかにせず、家計は収入に合わせて支出を抑え、法をきちんと守って、家をよく治める。学問のあらましは、このようなものである。
- 言志四録 (致知出版)、南州手抄言志録(青空文庫でも入手可能、PDF)
- 四 凡作事、須要有事天之心。不要有示人之念。
- 〔譯〕凡そ事を作すには、須らく天に事ふるの心あるを要すべし。人に示すの念あるを要せず。
- 五四 提一燈行暗夜。勿憂暗夜只。頼一燈。
- 〔譯〕一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うるなかれ。ただ一燈を頼め。
- 後録三三 以春風接人、以秋霜自粛。
- 〔譯〕春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを粛む。
- 晩録六〇 少而學、則壯而有爲。壯而學、則老而不衰。老而學、則死而不朽。
- 〔譯〕少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。
- 松下村塾聯 (ネットでアクセス可能)
- 自非読萬巻書 寧得為千秋人 自非軽一己労 寧得致兆民安
- 〔譯〕萬巻の書を読むに非ざるよりは、寧んぞ千秋の人と為るを得ん。一己の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。
- 万葉集
- 梅花の歌三十二首の序文
- 天平二年正月十三日に、師老の宅に萃まりて、宴会を申べたり。
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。加之、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾く、夕の岫に霧結び、鳥は縠に封ぢらえて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。
ここに、天を蓋にし地を坐にし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然自ら放し、快然自ら足る。もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を攄べむ。詩に落梅の篇を紀す、古と今と夫れ何ぞ異ならむ。よろしく園梅を賦して、聊かに短詠を成すべし。
- 十七条憲法
- 十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理
能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。
(第十条)人皆心有り。心各執有り。彼是とするときは則ち我は非とす。我是とするときは則ち彼は非とす。我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ。是非の理なんぞ能く定むべき。相共に賢愚なること、鐶の端無きが如し。
【訳】人は皆心をもっている。その心は、それぞれが執着しているものがある。彼が自分は正しいと思っても、私はそうは思わない。私が正しいと思っても、彼はそうは思わない。私はかならずしも聖人ではなく、彼もかならずしも愚か者ではない。
彼も私も共にいたらない凡夫である。どうして、どちらが正しいということを決めることができようか。彼も私も賢愚なることは、ちょうど鎖(耳輪)に端がないようなものだ。
一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
一に曰く、和を以て貴しと為し、忤ふこと無きを宗と為す。人皆党あり、亦達れる者少し。是を以て或いは君父に順ず、乍隣里に違う。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論ふに諧ひぬるときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらむ。
【訳】人は群れをつくりたがり、悟った人間は少ない。君主や父親にしたがわず、近隣の人ともうまくいかない。
【解説】「忤ふ」はさからふことでせうが、・・・いつも自分といふものを意識する、人の世界にすっと入っていくことが出来ない、さういふ心の姿勢、心の「こだはり」をいふのでせう。その「忤ふ」といふ心理をもっと具体的に述べられたのが次の文です。すなはち「人皆党あり、亦達れる者少し」──人は皆それぞれ自分たちの世界に閉ぢこもる性質をもってゐる、「たむら」の「むら」は群がるの「むら」に通じるのでせう。「達れる」といふのは「達」といふ字から考へても、相手の心の中にすっとはいって行く、飛びこんでいくといふことでせうが、さういふ人は非常に少い。かういふわけで「或は君父に順(まつろ)はず」、君といふのは国家生活における天皇、或は天皇に集約されていくそれぞれの社会における主君、家庭生活における父、さういふ長上の言葉に従はうとはしない、そして、「乍(たちま)ち隣里に違ふ」といふことになる。「乍ち」といふことは君父に順はない心理が、そのまゝ隣の人に心を通はせることが出来ないといふ結果を導くことを示してゐると思はれます。上の人がやはらかな気持で下に接し、下の人がまた暖かな心で上の人に親しみ合ってゆけば本当の平等の世界が実現されて、事を論じてゆくのに「諧ふ」ときは、──
「諧」といふ字は音楽で使ふハーモニイ、それぞれの音がそれぞれの美しさを保ちながら、それが一つに集約されて全体で美しい調和のとれた音色を発するといふことですが、かうして一人一人の心が生かされたまゝで全体の中に命が通っていく、そのときには「事理自ら通ふ」──「事」は人生のさまざまな事実、「理」はそれを支へてゐる道理、その事実と道理が一致するはずだといはれるのです。
六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失。其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。
(第六条)亦佞媚なる者は、上に対しては則ち好んで下の過を説き、下に逢ひては則ち上の失を誹謗す。
【訳】またこびへつらう者は、上には好んで下の者の過失を言いつけ、下に向かうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)する。
十四曰。群臣百寮無有嫉妬。我既嫉人人亦嫉我。嫉妬之患不知其極。所以智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以五百之後。乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治国。
(第十四条)我既に人を嫉めば、人亦我を嫉む。嫉妬の患その極を知らず。所以に、智己に勝るときは則ち悦ず、才己に優るときは則ち嫉妬む。
【訳】自分が人に嫉妬すれば、人もまた自分に嫉妬する。嫉妬の患いは限りがない。そのため、自分より知識がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。
- 雨にも負けず (青空文庫)
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ
ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩