当科の沿革

  1986年6月21日の越谷病院の開院当初から眼科は診療を開始しました。初代の眼科教授は小原 喜隆 先生で、岩手医科大学眼科学教室の助教授から当院へ異動となりました。当時の医局員は小原 教授以下、筑田、門屋、波紫、大沢先生方の計5名での船出でした。このうち、4名は岩手医科大学眼科からの異動でした。小原 先生は水晶体の臨床・基礎的な研究の大家で、1995年には日本眼科学会で「活性酸素、フリーラジカルと眼疾患」のタイトルで宿題報告をされ、日本の眼科学の歴史に大きな足跡を残されました。

  1996年に小原 先生は本院の眼科主任教授として壬生に移動となりました。当時、眼科助教授であった筑田 眞 先生が、二代目の主任教授に昇任されました。筑田 先生は硝子体手術の先駆者の一人であり、硝子体手術の黎明期から今に至るまで活躍され、多くの患者様を失明から救ってきました。また、2007年から5年間にわたり当院の病院長を務められ、病院の運営に貢献されました。2008年には鈴木 利根 先生が学内教授に就任され、神経眼科のスペシャリストとして活躍されています。2015年11月には鈴木 教授が日本神経眼科学会を主宰され、日本の神経眼科の発展のために尽力されました。

  2015年4月から私が三代目の主任教授として岩手医科大学眼科から赴任いたしました。歴代の主任教授が岩手医科大学眼科医局の出身ですので、古き良き時代の岩手医科大学の歴史の1ページが残っている感じが就任当初の感想です。更に、先代のお二人が築き上げたポテンシャルの高さを感じています。現在の医局員は、教授2名、講師2名、助教11名、レジテント3名の計18名でフル稼働しています。私の基本方針としては、診療・教育・研究の3つを大切にしたいと考えています。それぞれの医局員が生き生きと輝くような医局を目指しています。


獨協医科大学埼玉医療センター眼科 主任教授
町田 繁樹