2013年 夏

2013.08.20

なんと!3年も経ってしまいました。
前回のコラムから。発信したい言葉は溢れるばかりですが、一旦書かなくなるとこういうものなのでしょう。
テレビでは「あまちゃん」が大ヒットしています。大震災のあと、日本中が悲しみとポッカリ空いたこころの空洞の中に沈み込みこんでいましたが「前を向いて歩こう」という兆しは見えてきています。

昨年1月、縁があって気仙沼へ初めて行きました。
まだ、たくさん瓦礫があって、それよりも、肌に浸み込む痛い寒さの中、津波ですっかり流され削られてしまった港湾に立ってみると、目の前の静かな海があまりにも澄んで綺麗で残酷で穏やかで、つばが飲み込めないほど喉の奥が苦しくなったことを鮮明に覚えています。
その後、気仙沼でボランティア活動を懸命に行っている方々と知り合いになり、今年から正式に、発達障害研修の支援活動に参加するようになりました。
気仙沼の建築会社の社長さんの家に民泊させていただき、奥さんとおばあちゃんの漫才のような話を聞きながら、採れたての魚介類、野菜など、何しろ豊かな食材をこれでもかといただくことがあります。
何だか、逆に力をいただいて帰るようで申し訳ない。

東北人は不滅です。ほんとに。

自分の血にも東北の血が流れています。亡くなった母は青森の野辺地という小さな陸奥湾に面した町の出身。
母は、食べるものがなくて困った時は、海に行ってムラサキウニやなまこなどを、しかも丼ぶりいっぱい、採って食べていたそうですが、それって、すごいグルメですよね。
おかげで、母は東京で食べる魚はみなまずいと言って文句を言いつつ、でも、好きなので、白身魚、ウニ、ナマコばかり食べていました。
つい最近、八重の桜の番組終了後歴史を語る場面があって(そういうところだけ、一生懸命観ている)、会津藩が幕府軍に負けた後、2グループに分かれて東北地方へ逃れ、その一つが野辺地から下北半島に移住したと知りました。
そういえば、母は、桃が大好きで、今年のように暑くて何でも溶かしてしまいそうな真夏に、特に福島産の桃を一度に20個も食べたことがあると豪語していたことを思い出しました。
福島の血も入っているのかな?

(作田 亮一)